オートレース場の開設をめぐり県内では芦屋市と尼崎市が意向を表明
1951(昭26)年6月:兵庫県議会によってオートレース場の建設予定地を芦屋に決定する
レース場が建設されるまでの間、暫定的に尼崎所在の園田競馬場を使用することとなった
1951(昭26)年10月5日:関西地区の先陣を切って園田オートレースが開催される(馬場を使用)
開催にあたり、審判員、選手など関東から応援を得て万全を期したが
開催前半3日間はまずまずの売上
後半の3日間の売上は大幅に減少してしまった
翌、昭和27年2月14日から18日までの4日間開催を行ったが
極度の売り上げ不振と馬場をそのまま使用したことで競馬関係者から「馬場が固くなる」という声があがり
関係者の努力もむなしく廃止せざるを得なかった
1953(昭28)年1月9日:甲子園オートレース場に移転という形で廃止
(甲子園競輪場のバンクを利用)
住所. 兵庫県尼崎市田能2−1−1
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